杏仁豆腐のルーツは、三国志時代の名医にあった!

むかしむかし、中国・三国時代(220~280年)に、董奉(とうほう)という名医がいました。高い医術を持った彼は、多くの難病を治療。山中に住み、耕作をせず毎日多くの病人を診療しました。

ですが、貧しい村人も多く、治療費は一切受けとりませんでした。そのかわり、患者たちにお願いしたことがひとつだけあったのです。

重病患者が治ると杏子の樹を5株、病状が軽い人の場合は1株植えてもらいました。数年が過ぎると、一面は盛大な杏の林となっていました。

董奉は、「もし杏がほしい人がいたら、私にことわる必要はありません。一缶分の穀物を私の倉庫に置いていけば、同じ量の杏をもっていって結構です」という看板を杏の林に設置。そして、得た穀物をすべて貧しい人や旅人に提供したのです。

ある日のこと…

虎は盗人を家まで追いかけ噛み殺しました。死者の家族は杏を盗んだためだと知り、杏を董奉に返して、心から過ちを認めると、董奉は死者をまた生き返らせたのです。

この伝説や、名利を重んぜず人々のために善行を尽くした彼の医徳から、「杏林(きょうりん)」という良医の代名詞が生まれました。現在でも医科大学や製薬会社など、さまざまな場所で「杏林」という言葉が用いられています。

杏林から生まれた、もうひとつのもの

杏の種は「杏仁(キョウニン)」と呼ばれ、『肺と腸を潤す働きがある』とされていました。咳止めや喘息、便秘に良い民間薬として今も用いられているのです。董奉が杏を多く求めたのは、その効果に当時から気づいていたのかもしれません。

しかし、「杏仁(キョウニン)」を服用するにはひとつ問題があったのです。

杏仁は苦味が強く、なかなか人々の口に合いませんでした。

そこで、粉末状にした杏仁に甘味や牛乳を加えて食べやすく加工したのです。それが「杏仁豆腐」のはじまり。薬膳デザートとして中国全土に広まりました。

薬膳物でありながら甘いデザートである杏仁豆腐の美味しさは、宮廷にも伝わりました。

そして、清代(1644〜1912年)には、高級な材料や珍味がそろう宮廷料理の最高峰「満漢全席(まんかんぜんせき)」のデザートとして、皇帝や妃たちに供されるまでになったのです。

現代の日本でも、食べやすく改良が重ねられ、多くの人々から愛されて続けています。フルーツとともにシロップに浮かべたフルーツポンチでも多く見られていますよね。

ちなみに、中華料理店でよく見る上に乗っている赤いクコの実は美容効果があるとされ、その昔、あの楊貴妃も毎日食べていたという話もあります。自宅で、トッピングして食べてみるのもいいかもしれませんね。

  • 漫画とお菓子とお酒が大好き

    加藤俊介