1964(昭和39)
1979(昭和54)

構造改革断行による
企業体質の強化を経て躍進へ

檄を飛ばす創業者と構造改革により撤廃された商品例
檄を飛ばす創業者と構造改革により撤廃された商品例
1960年代に入って以降、新商品の乱開発と過剰な設備投資から財務体質の悪化や資本効率の低下を招き、増大した有利子負債が経営を圧迫。戦後初めて経営危機を迎えた当社は、1964年、全社的な構造改革に踏み切りました。
構造改革により121品目を廃止し28品目に
膨れ上がった商品品目は一気に8割以上を削減し、組織改革によるスリム化や「常識への挑戦」に取り組む意識改革を断行。東京でオリンピックが開催され、高度経済成長がピークを迎えるなかでの縮小均衡策という思い切った舵取りでした。
遊休機械となったチョコレートプラント 1964年
改革は「少品種大量販売」「重点集中主義」を掲げて進められ、既存品に付加価値を与えて価格改定する販売戦略とともに、次代を担う商品開発に取り組んでプリッツやポッキーなどが誕生。1967年に創立45周年を迎えるころには企業体質が改善され、縮小均衡から拡大均衡へ転換するまでになりました。
バタープリッツ 1963年 発売当初のポッキー 1966年
一般家庭でカラーテレビの普及が進み、広告媒体としての魅力が高まったことを早々に察知した当社は、アイドルを起用した青春路線のテレビCMを展開し、ティーンエイジャー層にアピールしました。
山口百恵を起用したセシルチョコレートCM 1976年 岡田奈々を起用したポッキー・オン・ザ・ロックのCM 1977年
また、創業者江崎利一は1967年の創立45周年記念式典において、世界的企業として海外事業進出への意欲を示し、戦後日本の発展を世界に示す日本万国博覧会が大阪で開催された1970年には、当社海外展開の第一歩としてタイグリコ株式会社を設立しました。
タイグリコランシット工場のオープニングセレモニー 1971年2月
1973年には江崎利一が会長に、大久保武夫が社長に、江崎勝久が副社長に就任。ほぼ同時期に第1次オイルショックが発生して日本は低成長時代に入ります。以後、景気が減速するとともに原料費の高騰や品不足が起こり、一方でスーパーマーケットの台頭、コンビニエンスストアの登場など流通環境の変化にも対応が必要となりました。しかし、構造改革による施策で危機を脱するとともに、現在まで続くヒット商品の育成や乳業・食品原料事業の成長も奏功し、1970年代は売上高、利益とも好調を維持しました。
当時のスーパーでのグリコ商品展開の様子 1975年