1882(明治15)
1918(大正7)

グリコ創業までの江崎利一の歩み

創業者江崎利一が想を練るため折にふれて訪れた郷里の八坂神社
創業者江崎利一が想を練るため折にふれて訪れた郷里の八坂神社
近代日本の幕開けから間もない1882年、創業者江崎利一は現在の佐賀市蓮池町に生まれました。
利一の生家 江崎薬店 1925年
高等小学校卒業後は、父清七(1845~1901年)が営む薬種業を手伝いながら自ら発案した商売も手掛けました。例えば早朝の塩売りです。佐賀では朝食に茶がゆや芋がゆを食べる習慣があり、かゆに欠かせない塩を切らした家庭のために行商を始めたのです。大した商いにはなりませんでしたが大いに重宝され、こうした体験から創意工夫の大切さと商いの喜びを知るようになります。
仕事の合間には、わずかな時間を見つけて勉学に励み、近隣の篤学の士であった楢村佐代吉先生(1844~1906年)からは商売の要諦が「共存共栄」であることを学びました。
楢村佐代吉先生(1844~1906年)元寺子屋の先生で、当時の地方ではまれにみる篤学の士。利一に事業の極意を平明に説きました。
この教えはその後、すべての事業のバックボーンとなり、旺盛な向学心も生涯にわたって失われることがありませんでした。また、「余裕ができたら、社会のために金を使うように」という父の教えは、創業間もないころから今日まで続く社会貢献活動に結びついていきます。
父の死後、家長となって薬種業を継いだ利一は、日露戦争に看護兵として従軍。除隊後に結婚して一男をもうけたあと、ぶどう酒販売業で企業家として最初の才覚を示します。
江崎商会から発売したぶどう酒とピラミッド印のラベル 1917~1921年
時代は第一次世界大戦に伴う好況から戦後の不況へと一変しますが「事業を通じて社会に貢献したい」という想いや「栄養や健康の大切さ」など、これまでに得た学びと経験が利一の企業家としての原動力となり、やがてグリコ創業へとつながっていきました。
大阪曽根崎の江崎商会 1920年ごろ