常備用カレー職人

東日本大震災から10年が経過して製造工場からのメッセージ

2021.2.17

2021年は東日本大震災の発生から10年目になります。今回、常備用カレー職人の生産工場であり、自社も被災したグリコマニュファクチャリングジャパン(以下:GMJ)仙台工場(当時 仙台グリコ株式会社)のお二人に、震災当時の状況や復旧に向けてのご苦労、また常備用カレー職人をはじめとする災害発生時になくてはならないレトルト食品を生産していることへの想いについて、オンラインでお話を伺いました。

(お話しいただいた方)

グリコマニュファクチャリングジャパン株式会社
仙台工場 生産技術課 課長 渋谷康彦さん
本社 生産技術部 菓子・食品グループ 千葉芳信さん

(聞き手) 江崎グリコ株式会社市場開発企画グループ 吉原修一

(記事作成)江崎グリコ株式会社市場開発企画グループ 下浜一弘

最初にグリコマニュファクチャリングジャパン株式会社仙台工場について紹介してください

GMJ仙台工場は、仙台市の中心部より約40キロ北部にある宮城県加美郡加美町にあります。1970年にアイスクリームの製造工場として設立し、2001年に現在のレトルト食品製造業に業態変更しました。以来、カレー職人・DONBURI亭・炊き込み御膳など、全国の消費者の皆さんに召し上がって頂いているグリコのレトルト食品の殆どを当工場で生産しています。常備用カレー職人に関しても2011年8月の発売開始以来、全て当工場で生産しています。

また、製造工場として全国の消費者の皆さんに向けて商品を生産しているだけでなく、地元加美町の防災訓練や秋祭りへも参加し地域社会に根ざした活動にも積極的に取り組んでいます。

東日本大震災の発生当時の状況をお聞かせください

東日本大震災の発生した2011年3月11日は年1回のTPM(*1)活動の成果発表会を外部の会場で行っており、その発表会の途中で震災に遭いました。発表を聞いている時に突然参加している従業員の携帯電話から緊急地震速報のアラームが一斉に鳴り出し、ものすごく強い揺れが長い時間続きました。道路は凸凹で瓦礫が散乱しているような状況に「外は危険」という判断から参加者は発表会の会場内にしばらく待機し、揺れが少しおさまった時点で家族や家への心配から工場に戻った我々数名を除いてその日は帰宅して頂きました。
工場に戻った我々は設備を点検し被災の損傷状況を確認せねばなりませんでしたが、工場内は外の光が入らない構造となっている為、停電で真っ暗かつ頻繁に起こる余震の中での確認は大変困難なもので、それは翌日以降電気が復旧するまで続きました。
4日後、グリコグループ各地より食料品や飲料水、乾電池などの非常用備品の災害救援物資が当工場に届き、それらは当工場をハブにして近隣のグリコグループの営業拠点や生産拠点へ送る形をとりました。震災直後で小売店が営業再開する前の十分な物資がなかった中、大変ありがたかったことを思い出します。
6日後にようやく電気が復旧したのを機に本格的に工場内ユーティリティの点検が行えるようになりました。例えば水は地下水を使っている為に断水の心配は無いのですが、地震による水質変化や安全性をきちんと検査した上で使用する必要がありました。一方、設備の点検と並行して行っていた従業員の安否確認も大変でした。電話が充分に使えない状況の中、ご自宅や避難所に社員が出向き従業員やご家族の安否を確認することもしました。そして震災から約1週間後、従業員の安否確認も終わり正社員が全員出勤できるようになって、ようやく原材料の調達などの生産再開へ動き出せるようになったのです。

振り返れば先に申し上げた通りこの日は外部での発表会を行っており、全ての生産ラインを停止していましたので、怪我人もでず、被害は外壁の破損、生産品の積み荷崩落、製造ラインの歪み、天井・床のヒビなど比較的小さな規模ですみ、そのことが比較的早期に生産が再開できた大きな要因となりました。

*1 TPM:Total Productive Maintenance の略、「全員参加の生産保全」のこと

被災後の生産再開に向けての取り組みはどのようなものでしたか

生産再開に向けての調整は多方面にわたり、当工場自体は山間部に立地していて、且つ製造ラインが休止していたこともあり被害は小さかったのですが、原料については仙台新港(仙台塩釜港仙台区)の冷凍倉庫は津波による浸水での大きな被害があり、在庫していた原料が使えなくなったことを受けて倉庫の被災の状況を確認すると共に、江崎グリコ本社のグループ調達部と「いつ、どの原料をどれだけ」供給できるかの情報を基に生産可能な品種の選定を行い一刻も早い生産再開に向けた調整を行いました。生産に必要な熱源であるボイラーを稼働する為の重油についても沿岸部のコンビナートが被災し供給が不安定になっており、こちらも原料と同様に供給に関する細やかな打合せを必要としました。さらには従業員についても、生活の復旧が不十分な中で全員が毎日出勤できる訳ではありませんでした。これらを調整しながら、製造できる商品・製造できる数量から生産再開を計画化していき、震災から12日後の3月23日には「カレー職人」(この日の生産数量は 26,000個)から生産再開することができました。その後、徐々に生産数量を増やし4月には震災前の生産水準まで回復させることができました。

ただ、これら(原料・ユーティリティ・人 の調整)の取り組みよりも、生産再開への大きな原動力になったのは従業員のモチベーションでした。震災直後はモノがなく、自転車で街中を巡って開いている小売店を見つけて買えるものを買っておかなければならない状況(長時間並んで買えたとしても個数制限)も体験しました。そのような状況の中でも「私達は今この時必要とされているレトルト食品を生産しているとの自覚、できるだけ早く多く生産し皆さ んに提供したい」という使命感を強く感じたのです。それは我々正社員だけでなく他の多くの従業員も同じ思いであったことから、個人としての生活の復旧が不十分な中でも生産への協力、さらには休日生産対応にも協力頂きながら、生産数量を増やしていくことができたのです。

最後にあらためて、レトルト食品を製造していることについての想いをお話しください

近年、江崎グリコのマーケティング施策もありますが、ピロー包装(*2)の商品の生産量が増えてきています。ちょっとしたお買い得感もあると思いますが、ご家庭で買い置きされている方が増えている状況を考えると、災害用の家庭内ストックの重要さを実感している我々としてはとても嬉しく感じます。

東日本大震災から今年で10年が経ちますが、この10年の間も日本では地震や台風・大雨による洪水などの自然災害が発生しています。その度に自身の被災後の復旧対応時のことがよみがえり、風化することはありません。またそれは自然災害に限ったことではありません。昨年(2020年)春の新型コロナウィルス感染症対策で緊急事態宣言発出時にレトルト食品の需要が急騰した際も、当時と同じように多くの従業員の皆さんからの賛同をいただき増産依頼に応えることができています。

食べることは生きていくために必要です。何らかの事情でサプライチェーンが滞り、欲しいものが欲しい時に供給できなくなった時には常温保存ができ賞味期限の長いレトルト食品は、なくてはならないもののひとつです。我々はそのレトルト食品を製造しているということを常に意識し、必要な時に必要とする皆さんに提供することを使命と感じながら、これからも全国の皆さんにおいしく召し上がって頂ける商品を製造していきます。

*2 ピロー包装:1食分を紙箱にいれたものでなく、複数(3食~4食)を袋詰めしている商品

お話を聞いて

今回東日本大震災時の貴重なお話を伺ったことでレトルト食品を日々お客様にご提案している意義をより強く再認識しました。特に「常備用カレー職人」は 5 年間の長期保存が可能で温めなくても食べることができる防災備蓄に特化した商品ですので多くのお客様にオススメしていきたいです。今後の営業活動におきまして、お聞きした想いを少しでもお客様にお伝えするように努めていこうと思います。ありがとうございました。(下浜)