Glico Seven Principles Glicoの七訓

「Glicoの七訓」とは、創業者 江崎利一(えざきりいち)と社員が多くの苦難を乗り越えて、会社の存続・
発展のために実践してきたことの根源となる考え方や行動指針が集約されたものです。
Glicoグループの発展の原動力であり、今も社員の行動の手本となっている「Glicoの七訓」
をご紹介いたします。

Glicoの七訓

創意工夫そういくふう

「人並みの考えをせず、あらゆる場合を検討して独創的な活路を見出し、
アイデアを創出すること。」

栄養菓子グリコの創製と発売は利一の「創意工夫」の象徴といえます。栄養素(グリコーゲン)を含むことにちなんだ商品名「グリコ」、ハート型のキャラメル、パッケージの色、キャッチフレーズ、ゴールインマークやおもちゃ、など…。「時間も資金もかかるが、絶対に売れる自信はある」という信念のもと利一はあらゆる方面に工夫をこらしました。
さらに、商品そのものだけではなく、割引券付きの引札(チラシ)や、他社との差別化を図った新聞広告、小さな袋にグリコを2粒入れ「ご風味願います」と書いて店頭に置いた試食サンプル「風味袋」など、人々の身体と心の健康を願い作った商品を世間にアピールするために、利一の「創意工夫」はとどまるところを知りませんでした。この利一の精神は創業から現在まで脈々とGlicoグループの中に受け継がれています。

風味袋(左上)、ゴールインマークが描かれたパッケージ(左下)、割引券付引札(中)、最初の新聞広告(右)
風味袋(左上)、ゴールインマークが描かれたパッケージ(左下)、割引券付引札(中)、最初の新聞広告(右)

積極果敢せっきょくかかん

「ひとつのことを成し終えても休まずに、
それまでの努力と緊張を加速して積極的な行動に移すこと。」

栄養菓子グリコを発売した年の夏、「公徳心の養成」という切り口で特別に許可を得て、大阪湾に面した浜寺海水浴場に「公徳販売器」を設置しました。これは硬貨入れにお金を入れて商品を取り出すという仕組みで、現在の「オフィスグリコ」の原型とも言える、お客様の善意に依存した無人の販売器でした。そして、各社が「公徳販売器」の成功を見て浜寺に注目しているこの時、利一はすでに次の手を打ち、浜寺の成果を基に大阪市内の病院に売り込み、待合室に販売器設置を拡大しました。
「商売というものは勢いに乗ることが大切であり、勢いに乗れば3が5にも6にもなる。躍進のチャンスを逃してはならない」という利一の考えによるものです。「追撃は少ない力で大きな収穫がある。追撃の手を緩めると、後になって同じ効果を挙げるには何倍かの力を用いねばならない」一つの成功で満足することなく、さらに一歩先んずる、まさに「積極果敢」の精神です。

浜寺海水浴場に設置した「公徳販売器」
浜寺海水浴場に設置した「公徳販売器」

不屈邁進ふくつまいしん

「どんな苦難、どんな逆境にも負けず、
あらゆる可能性に食いさがって活路を見い出すこと。」

思うように栄養菓子グリコの売上が伸びず資金繰りに苦しむ時期が続き、頼りの社員まで「どう頑張っても売れない」と弱音を吐いてしまうほどになってしまいましたが、世の中には、体の弱い子の母親が医者の薦めで食べさせているなど栄養菓子グリコを必要としてくれている人たちが確実にいました。「栄養菓子グリコは練りに練った自信の商品である。社会の役に立ちたい、成功するまで絶対にあきらめない」という確固たる信念のもと、社員と共に努力を重ねた結果、徐々に努力が報われ始め、1924年6月、ついに初めての黒字を計上しました。これは、断られても断られても十数回にわたり足を運び嘆願に努めて大阪三越で販売してから、実に2年余りのことでした。

質実剛健しつじつごうけん

「表面的なことにとらわれず、常に本質を大事にすること。」

質実剛健とは、創業者の出身地である佐賀県に江戸時代から続く「実(中身)をとる」という気風です。
「常に高い目標を定め、強固な意志で信念を押し通すことが大切」さらに、「何事を成すにも精神的な基盤がしっかりしていること、健全な精神と堅実な生活態度が必要」であると利一は考えていました。
「平凡なことを一つひとつ積み重ねていくだけである。栄養バランスをとるため、野菜は5種類以上を取る。次によく噛むことを心掛けている。もう一つは、精神を気楽にすること、くよくよしないこと。どんな事業上の難題があっても、熟考する時間を決め、就寝時間がくれば、頭も心もすっかり切り替えて安眠するようにしている」美食ではなく栄養本位、よく咀嚼し、休息をとる。この生活習慣は、まさに現代の健康経営の考えに通じるものではないでしょうか。

ラジオ「実業道を語る」に出演時の利一
ラジオ「実業道を語る」に出演時の利一

勤倹力行きんけんりっこう

「次の大きな仕事のために、次の飛躍、発展を期するために節約すること。」

1922年2月に大阪三越に並んで以来、少しずつ店先に栄養菓子グリコは並ぶようになりましたが、現実にはなかなか売れ行きは芳しくありませんでした。回転が悪いため返品も多くなり、人件費や広告費などの経費もあり、月を追って資金が減少していく厳しい時期が続きました。この難関を乗り切るために利一は、長期持久計画を立てました。資金のあるうちに少しでも経費節減をはかり、黒字になるまで持ちこたえようと社員も一丸となって取り組みました。ただ節約するだけではなく、目的をもって無駄にしないよう努力をすることが大事なのです。
「勤倹力行は、自分が行っただけ間違いなく効果が上がる。グリコは必ず売れる自信がある。しかしこの価値を知ってもらうには1~2年はかかる。この期間を耐えられるかどうかが命運を分ける」と社員に伝え、3度の電話を1度で済ますなど、極力無駄を省き、業務改善にも努めました。

協同一致きょうどういっち

「全社をあげて相互信頼の上に立って、一丸となって協力すること。」

1945年、終戦後のGlicoグループには一切の設備もなく、社員の中には悲観的な考えの者もいました。しかし、利一は全員を集めて以下のような所信を述べて、社員全員の協力を要請しました。
「グリコは破産同様になってしまった。しかし、私は悲観していない。工場も機械も焼けてしまったが、さすがの戦火にも焼けなかった資産がある。それはグリコの名前であり、マークであり、暖簾である。我々が過去20年以上かけて、精魂込めて作り上げた信用は、人々の記憶の中に残され、焼けもせず、なくなっていないはずである。これがある限り、また信用に恥ずかしくない我々の努力・精進がある限り、グリコは必ず復興する。いや、復興以上の大躍進をとげるであろう」 心の奥底からの呼びかけであった。利一は食堂の一角を社長室とし、ここに住み込み復興の陣頭指揮をとり、社員も一致団結して再建に立ち上がったのです。
「現在に至るまで幾度も難関を切り抜け、成長・発展してきている。しかしこれは、全社を挙げて相互信頼の上に立って、一致協力してきたからに他ならない」このことは、一人ひとりの力の総和よりも、全員が一致協力して結集された力というものがはるかに大きいことを示しています。

食堂で指揮をとる利一 1950年頃
食堂で指揮をとる利一 1950年頃

奉仕一貫ほうしいっかん

「事業を通して社会に貢献すること。」

「奉仕一貫」それは“商売の本質”です。「商売というものは、自分のためにあるが、世の中のためにもある。売る人は物を売って利益を得るが、買う人もまたそれだけの値打ちの物を買って得をする。この持ちつ持たれつの間柄、共存共栄がなかったらほんとうの意味の商売はなりたたないし、発展もない」
こうした少年期の師の教えを糧に、世の中に役立つことを目指して取り組み、事業化したものが、栄養菓子グリコの創製です。栄養豊富な食品によって国民の体位向上に寄与し、またおもちゃは教育玩具として、子供の知能育成や情操教育にも役立つものである、と利一は考えました。

グリコおもちゃ
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